おいらせ町の将棋の歴史年表
年月日 | できごと |
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昭和50年4月 | 旧百石町民の中戸俊洋氏(以下、中戸氏)が日本将棋連盟青森県南支部を結成。 |
昭和51年7月 | 中戸氏が日本将棋連盟県南支部の機関誌としてアマチュア将棋ファンのための雑誌「将棋あおもり」を発行。 |
昭和53年4月15・16日 | 大山名人 初来町 日本将棋連盟県南支部結成3周年と「将棋あおもり」誌が「将棋天国」(6号)と改題し全国誌へ発展したのを記念して、「東北将棋強豪選抜大会」を開催。中戸氏が県南支部長と将棋天国誌発行者の立場から、審判長として大山康晴15世名人を要請し、迎える。(「将棋天国」は昭和58年1月(23号)まで発行) 中戸氏は、旧百石町上明堂にある自宅(吉田メリヤス)の一部を将棋道場として無料開放し、「将棋資料館」の館長を務める。 |
昭和58年 | 全国小学校団体対抗戦で百石小学校が全国優勝。 |
昭和61年4月 | 中戸氏は、更なる将棋の発展と普及を目指し、私費を投じてプロ棋士から初心者までが無料で利用できる「将棋道場」「合宿所」や「大山名人の資料展示コーナー」が設けらた全国初総合ホール「百石町将棋資料館」を開館。 |
昭和61年7月 | 町では、昭和61年から大山名人、中戸氏協力の下、全国将棋祭り実行委員会を発足し、全国将棋祭りを開催。 「将棋の町」として将棋の普及奨励及び文化芸術の充実並びに観光の振興を目指し、個性豊かな地域社会の実現と将棋による特色あるまちづくりを進める。 |
昭和61年11月 | 全国小学校団体対抗戦で百石小学校が2回目の全国優勝。 |
昭和63年11月 | 全国高校将棋選手権で百石高校が全国準優勝。 |
平成元年3月 | 青森県市町村活性化対策協議会より第一回あおもり活性化大賞を受賞。 (個性豊かな地域社会の実現と将棋による特色あるまちづくり) |
平成元年4月 | 百石小学校に全国初の将棋道場「王将館」がオープン。 |
平成元年5月 | 大山名人をおいらせ町(旧百石町)の第3号名誉町民に推戴。(百石町特別功労賞) |
平成元年12月 | 中戸氏が旧百石町上明堂(青森銀行向かい)に「大山将棋記念館」を民営施設として開館。 |
平成2年11月 | 全国小学校団体対抗戦で百石小学校が3回目の全国優勝。 |
平成4年11月15日 | 「第18回将棋の日」のイベントを旧百石町立体育館で開催。 (羽生善治ら16名によるプロ棋士の寄せ書きは館内に展示。) |
平成5年8月 | いちょう公園内に大山康晴15世名人の座像を建立。 |
平成5年11月 | 全国小学校団体対抗戦で百石小学校が4回目の全国優勝。 |
平成6年8月 | 大山名人杯倉敷藤花戦百石対局を開催。(現在も継続) |
平成11年5月 | 「大山将棋記念館」は資料などの管理保全や施設の維持管理などの問題から休館に至る。 |
平成12年 | (仮称)大山将棋記念館建設構想検討委員会を設置。翌年には建設に向けて大山将棋記念館整備事業計画を策定。 |
平成14年 | 旧百石町が第9回大山康晴賞(日本将棋連盟)を団体分野で受賞。 |
平成17年3月 | 竣工式 総事業費:24,600万円、敷地面積:1,734平方メートル、木造2階建て、一部鉄筋コンクリート、延べ床面積:461.33平方メートル。 |
平成17年8月 | 「大山将棋記念館(王将館)」が開館。 |
平成18年3月 | 旧百石町と旧下田町が合併し「おいらせ町」が誕生。 |
平成19年8月 | 全国将棋祭りのメーンイベントとして「子ども人間将棋」を開催。(現在も継続) |
平成27年8月 | 全国将棋祭り30回記念及びおいらせ町誕生10周年記念事業として、集客力と情報発信力のある大型ショッピングセンターを会場に全国将棋祭りを開催。さらに、大山名人杯倉敷藤花戦おいらせ対局をインターネット生中継配信するなど、『おいらせの将棋』を全国へ発信。 |